琉球神人リュウサイのブログ

琉球古神道を中心に一般的な神道やご神事・歴史について

憑依の発生から祈祷による浄化まで2

怨念寺(後編)

一人の藩士が大手門の前にたたずんでいる、その僧に声をかけた。
「御坊、さきほどから、しきりと城内を気にされておいでのようだが、いかがなされましたか?」
すると、その僧は天守のほうを向いたまま、
「良いかの、あの天守に妖気が立ち昇っておる。おそらくは怨みをのんで亡うなった者の霊が祟っておるようじゃの。しかも、かなりの怨みのようじゃ」
藩士は、その僧の言葉に驚いて上士に事の次第を告げた。そして、その話は瞬く間に、豊後守の知るところとなった。僧は、町外れの寺に投宿していたが、豊後守は、ただちに使いを走らせ、城内に招いた。
豊後守は、すぐに僧をお小夜の方の枕辺に招じ入れ、
「御坊、御坊は城内に妖気が昇っておると申されたようだが、それは奥の病と何か関係がござるのであろうか?」
そう尋ねた。
僧はしばし黙って、目の前の病床に臥すお小夜の方を見ていたが、
「ある!女の妄執、怨みを抱いた死霊が奥方にとり憑いておる」
そう言った。
豊後守は、僧に、今までのいきさつをつまびらかに語った。そして、僧に言った。
「御坊、その、お久米の方の怨霊は私が心を尽くして話をして、納得して成仏してくれたはずなのだが…」
「あまい!人の怨みは、そう簡単には消えるものではない。頭で祟ることを悪いと知っても…」
そう言うと、僧は自分の胸を叩き、
「良いか!ここじゃ!怨みと言う思いを抑えきれぬのが人の愚かさと言うものだ!」
そう言って、横たわるお小夜の方を見た。
僧の名は覚龍と言い、真言の僧だった。覚龍は豊後守に護摩を焚ける寺を求めた。
「町外れに御念寺と申す寺がござる。念仏宗の寺であったが、先年、住職が亡くなってよりは無住の寺になっておる。そこでは、いかがでござろう?」
と言うことで、急遽、御念寺の本堂に護摩壇が用意された。
覚龍は、一人、早速に加持に入った。やがて、壇に火が入れられた。辺りは既に夜の闇に包まれている。
覚龍の唱える真言だけが、人里離れた御念寺に響きわたった。絶えること無く、護摩は焚き続けられた。護摩の焔が暗い本堂の闇をほのかに照らし出した。
深夜に入って、覚龍は背後に気配を感じた。
「来たな。そなたが来るのを待っておったぞ!」
確かに、闇の中に、
ズルッ…ズルッ…
と、お久米の方が這って来るのが、わかった。その気配は、覚龍の背後で止まった。
「お久米よ!なぜ、そなたは恨むのだ!」
「しれたこと。お小夜の奴に毒を盛られたからだ!」
「良いか!この世は因果応報じゃ。そなたが毒を盛られたのにも原因がある!」
「嘘だ!わしは何もしていない!」
「果たして、そう、言いきれるかな?物事には、必ず、原因があって、結果があるのだ!そなたが毒を盛られたのにも原因はある!」
覚龍はさらに続けた。
「良いか!よく聞け!人は輪廻を繰り返す。生まれては死に。生まれては死ぬ。そして、前世に人を殺めた者は、生まれ変わって、次の世には、今度はおのれが殺されるのだ!つまりは、この世で殺された、そなたは、前世に、人を殺めているのだ!」
「嘘だ!お前はわしを言葉たくみに騙すつもりであろう!」
「ならば、そなたに聞く!人はなぜに、生まれながらにして、ある者は幸せに、また、ある者は不幸にならねばならぬのだ!」
お久米の方は、
「それは…」
と、言いかけて、言葉につまった。
「いかに!」
覚龍は、そう厳しい口調で言ったかと思うと、言葉を和らげた。
「良いか。前世に何をしたかによって、人の定めは決まるのだ。前世に人を殺めれば、現世に、今度は自分が殺されて、前世に自分が殺めた相手の悲しみ、苦しみを知るのだ…」
お久米の方は何かを考えている様子だった。さらに覚龍は、
「そなたの悲しみも苦しみも、許せぬ思いもわかる。しかしじゃ…その思いは、そなたが前世に殺めた相手の悲しみであり、苦しみであり、許せぬ思いだと言うことを忘れてはならぬぞ」
そう、親が子を諭すように、やさしく言った。
お久米の方は黙って聞いていたが、
「しかしじゃ、わしは、我が子の産まれ来るのを楽しみにしていた。この世に、我が子の誕生ほど、心楽しく、また、嬉しいことも無い!それを、あの女が奪ったのじゃぞ!これが許せることか?おぬしは、それでも、許せと申すのか?」
そう言って、覚龍に詰めよった。
「そうじゃ。許せ!それでも許せ!そなたが、それほどに無念な思いをしたと言うは、そなたも前世に、相手に、それだけの無念な思いをさせたということだ!」
その、覚龍の言葉を聞いて、お久米の方は泣き崩れた。
お久米の方は暫く、あたりはばかること無く泣き続けたが、顔を上げると、
「御坊に頼みがある。わしは、祟ることの誤りを悟った。しかし、自分の中の怨みを、いかにして鎮めて良いか、わからぬ。御坊の御力で、救って頂けぬだろうか?」
そう言って、手を突き、頭を下げた。
「わかった。真言に懺悔法と申す法がある。これから、そなたの為に懺悔法を修して進ぜよう」
それから、覚龍は七日七夜、懺悔法を修し続けた。そして、結願の朝、覚龍は、お久米の方が昇天して行くのを見た。その日を境に、お小夜の方の病は瞬く間に癒えた。
この後、お小夜の方は剃髪して仏門に入り、御念寺に、お久米の方の菩提を弔い、一生を終えたと伝え聞く。
覚龍は、豊後守から御念寺の再興を懇願されたが、
「我、その任にあらず」
と書き置きして、巡錫に立った。
その後、明治時代に入り、御念寺は廃仏毀釈の難に遭い、破却された。そして、「怨念寺」の小字に、その名残を留めるのみとなった。完

憑依の発生から祈祷による浄化まで

怨念寺(前編)

山形県のさる都市の郊外に「怨念寺」という小字がある。しかし、今、その辺りは一面のすすきの原が広がるばかりで、かつて、そこに大寺があったと思わせるものは何もない。
江戸時代の初めの頃、ここには「御念寺」と呼ばれる念仏宗の寺があったが、いつの頃からか?「怨念寺」と言い変えられるようになった。
江戸時代、この地を支配していたのは佐々木豊後守という三万石の大名だった。小さいながらも、三重の天守を持つ城もあった。
豊後守にはお小夜の方と呼ばれる正室と、お久米の方と呼ばれる側室があり、お小夜の方には芳姫と言う幼い姫があった。お小夜の方とお久米の方は、互いに仲悪く、常に威を競った。
ある年のこと、お久米の方が身籠った。お久米の方の腹が前に張り出すようになるにつれ、
「お久米の方の腹の御子はわこ様(男子)に違いない」
と、家中の諸士の噂するところとなった。お小夜の方は、この噂を、身を斬られる思いで聞いた。
お久米の腹がしだいに大きくなるにつれ、ますます、お小夜の方は心を病むようになった。
お小夜の方は、思い余って、ある夜のこと、人を遣い、殿様からの届け物と偽り、下ろし薬を調合した菓子を渡した。
お久米の方は、たいそう喜ばれて、これを食した。
半時ほどのちのこと、お久米の方は、激しい腹痛に襲われた。やがて、白絹の褥に子宮から大量の出血をして、七転八倒の苦しみように、侍女も、なすすべが無かった。
その時、お久米の方の侍女の一人が、
「そう言えば、菓子を届けた者を見たことがある。あれは確か、お小夜の方の小者に相違ない」
と、言いだした。
その言葉を聞いて、お久米の方は激しい怒りを覚えた。悔しさに身体がうち震えた。
「おのれ!お小夜の方!この恨み、晴らさで、おくものか!」
そう、低く、呻くように言うと、腹の痛みのために歩けぬ身体を、両腕の力だけで、這いだした。白絹の寝着の下半身を鮮血で真っ赤に染めて、
ズルッ…ズルッ…
と、お久米の方は、お小夜の方の寝間を目指して這い続けた。
お久米の方の這った畳の上に、ベットリと血のあとが残った。
しかし、お久米の方は途中で力つきた事をさとると、
「おのれ!お小夜の方!この恨み、晴らさでおくものか!七生までも祟ってくれん!」
そう、絶叫すると、虚空を握りしめて息絶えた。
それから、間もなく、芳姫が、病の床についた。芳姫は、うなされた。
お小夜の方は、心配そうに芳姫の顔を覗きこんだ。
その時、うなされていた芳姫が、カッと目を見開くと、
「おのれ!お小夜の方!必ず、必ず、この恨み晴らさいでおくものか!」
そう言って、母親であるお小夜の方の胸ぐらをつかんで、その顔に痰を吐いた。
その後も、芳姫の病状はいっこうに良くならなかった。芳姫は四六時中、夢にうなされ続けた。
そして、決って、
「血まみれの、お久米の方様が、鬼のようなお顔をして這って来る」
と、訴えた。
芳姫の身体はしだいに衰弱していった。
羽黒の金剛坊と言う、世に知られた行者に七日七夜、怨霊退散の護摩を焚かせたが験しは無かった。
ある日、母親のお小夜の方が重湯を飲ませようとしたが、それを手ではねのけて、
「また、私に毒を盛るつもりか!」
と叫んだかと思うと、突然、子宮から大量の出血をして、褥を真っ赤に染めた。枕辺にひかえていた医師にも、なすすべが無かった。
かくして、芳姫は昏睡状態に落ちた。
七日目の夜、芳姫は、虚空を握りしめて、
「まだまだまだまだ、許さぬぞ!もっと、もっと、もっと、苦しめて、苦しめて、苦しみ抜いて死ぬが良い!」
そう言って息絶えた。芳姫の死後、お久米の方の怨霊は、夜毎に、お小夜の方の寝所に出るようになった。
深夜、お小夜の方が物音で目を覚ますと、広い広い座敷のかなたの襖が開いた。そして、下半身血まみれのお久米の方が、
ズルッ…ズルッ…
と、お小夜の方を睨みつけたまま、畳の上を這って来る。這ったあとにベットリと血がついている。
お久米の方は、少しずつ、少しずつ、お小夜の方の褥に近づいて来る。お小夜の方は、声をあげようとしたが、恐怖で声にならなかった。やがて、お久米の方は、お小夜の方の布団の上に乗ってきた。そして、両手で、お小夜の方の首を絞めた。お小夜の方は、あまりの恐怖に気を失った。
朝になり、侍女がただならぬ、お小夜の方の様子にお小夜の方を揺り起こした。お小夜の方が改めて辺りを見回すと、どこにも血の痕は無かったし、お久米の方が入って来た襖はピタリと閉められたままだった。
お久米の方の怨霊は夜毎に、お小夜の方を悩ませた。侍女や剣に覚えの藩士に不寝番をさせても、皆、お久米の方の怨霊が来る気配と共に、不覚にも眠ってしまうのだった。
この事に、最も心痛めたのは藩主たる豊後守だった。
ある夜、豊後守が、お小夜の方の枕辺に不寝番に付くことになった。
その夜、豊後守は、お小夜の方の枕辺に座り、お久米の方の怨霊が現れるのをじっと待った。
深夜、かなたの襖が音も無く開いた。
豊後守は、静かに視線を向けた。暗い闇の中から、果たして、お久米の方が這い出て来た。お久米の方は、じっと、黙って豊後守のことを見ている。その目は、悲しそうに訴えかけるように見えた。
豊後守は、沈黙を破った。
「久しいのう、お久米…わしはそなたを失い、悲しいぞ。いつまでも、そなたと共に在りたいと願っていたのだ…それが、こんなことになってしまった。お小夜のしたことは悪い。しかし、わしに免じて許してやってはくれぬか?お久米も、お小夜も、わしにとっては、かけがえの無い二人だ…」
お久米の方の怨霊は泣いていた。そして、そのまま、何も言わずに消えた。
それからと言うもの、城内に怪異は絶えた。
しかし、今度は、お小夜の方が病に臥した。お小夜の方は日に日に衰弱していった。江戸や米沢から名医を招き、羽黒や立石寺から名のある行者を何人も招いたが、病状は悪化するばかりで、豊後守は途方に暮れた。
そんなある日のこと、一人の旅の僧が、城下を通りかかった。

日本最古のラブソング

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こんにちは、

リュウサイです。

 

みなさん、日本で古い恋歌って何でしょう。

古事記では、神武天皇とさや姫の間で交わされた歌があります。

「葦原の繁しき小家(さや)に菅畳 いや清(さや)敷きて 我が二人寝し」

なかなかの文句ですね^^

もっと古いのがあります。ご存知のイサナギ・イサナミのフタカミで交わされたウタとなります。

「 きしいこそつまをみぎはにことのねのとこにはきみをまつぞこいしき」

これは回り歌とも言って、逆から詠んでも同じです。

つまり、想い人との仲が途切れることなく続いていく。想いが二人を巡る。

粋ですね^^

こんな求婚をしてみたいですね!!

女性のみなさんは、こんな求婚どう思いますか?

訪れる時期には注意を

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こんにちは、

琉球神人 リュウサイです^^

 

みなさんは、ハマンシウタキという場所に行ったことがありますか?

 

ここは、いくつかの洞窟が拝所となったところです。複数の霊石があり、「子授け」のパワーが強いとされています。

結婚(3)

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こんにちは、

琉球神人 リュウサイです^^

 

今回は3回目!!

 

ちょっと変わったものをご紹介します^^:

 

最近じゃ、「出来ちゃった婚」が珍しくもないですね。また、未婚の母というのも増えていますよね。

 

本土においては、江戸時代まで「性の縛り」が少なく、あっけらかんとされてましたよね^^町中を普通に裸で下着だけで歩く男性。女性も羽織るくらいでしょうか^^

 

混浴も今じゃ水着着用・・・。

 

開放的な性にHな観念を持ち込んだのが西洋文化なのは、皆さんも御存知かと思います。

 

海外の一部では、ヌーディスト・ビーチというのがあり、男女年齢関係なく全裸で泳いだり、日を浴びたり・・・等しています。そこは、江戸期までの日本人を彷彿とさせるものがあります。

 

そこにいる全員がふしだらなHな妄想などはなく、ただただ純粋に、まるで赤ん坊のようです。全裸になることで、下手な羞恥心や世間的な見栄・外聞が減り、素直な気持ちで性別もなく、人間の在りのままの姿で接することが出来るようです。

 

今の日本人には無理かもしれません・・・。

 

そろそろ本題に入りましょう!!

 

沖縄では、結婚初夜に花婿がおあずけをくいます。まあ、これだけなら他の地方にもありますが・・・ここから凄い!!

 

花嫁は自分の女性友人達を集め、初夜を語り明かすというのです。しかも、初夜どころか・・・数日続くことも少なくなかったようです^^;花婿としては、初夜の契りを結びたい!!もう!ムラムラしてたまりません!!

 

さらには!?久高島では、結婚式が終わると花嫁が逃げる。花婿が追うというのがあります^^:花婿が花嫁をつかまえるまで、数日続くこともあるのとか・・・ないとか^^:

 

どちらも花嫁・花婿の今後を試す意味合いもあるようです。

 

最近の安易に恋愛の段階でも性行為をして、子供を産み・・・これを時代の変化で良しとしている。

 

これって、本当に良いのでしょうか?

 

性行為をしても、双方が避妊を確実にするとか・・・。対策はあるはずです。海外が自由だからと勘違いしている人達が多いように感じます。

 

今の日本は、開放的な性ではなく、淫らな性になってしまった。

 

その違いを若い人達に伝えていくのが、大人の義務ではないでしょうか。

結婚(2)

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こんにちは、

琉球神人 リュウサイです^^

 

今回は沖縄の結婚2回目となります。

 

沖縄では大正時代まで、村のなかだけの結婚が当たり前とされていました。村の男性が同じ村の女性とだけ結婚をしていました。他の村の異性と結婚しようものなら、罰金のようなものまで払わされたようです^^:その罰金を沖縄ではウマザキと呼んでいました。

 

これは、村ごとにある一種の決まり事・・・法律のようなもので反することは村のなかでは吉とはされていなかったようでした。

 

このように村八分のような決まりごとがあったのは、村で生まれ育つ子供が減り、人口が減っていくことで、村の生産が減り、生活が苦しくなるのを防ぐ意味合いもあったようです。

 

昭和以降になると、この習慣もいつの間にか失われいきます。沖縄が本土に返還され、本土に出て行く人々・本土から移住してくる人々で徐々に沖縄独自の継承がなくなっていきます。

 

王朝時代から、ノロ・ユタ・神人などは一家代々の血の継承で霊的な能力が受け継がれていたのがあります。

 

現在では、ユタの修行に入る前に起こっていたカンダーリ(神憑り)の現象も正しく判断されずに、本土に移住し、医者に診断をあおぐなどしたり、本土の人間との結婚で血が薄まり、霊的なものが顕現しにくいなど・・・様々な問題があります。

 

このままでは・・・と沖縄の純粋な血の継承ではなく、魂の継承として・・・本土で琉球神界と縁ある人間に神憑りの現象が起こるようになってきました。

 

その一方で、スピリチュアルなどの「見えない世界」に強い関心を持つ一部の方が徒にセミナーやワークを受講し、下手な霊感を開き、動物霊に惑わされているようです。

 

  • 「わたしは、・・・(神の御名)のお告げがあり、沖縄に向かおうと思います。どのようにすれば失礼がないでしょうか?」
  • 「わたしは、・・・(神の御名)と普段から交流しています。」
  • 「わたしは、・・・(神の御名)の力でヒーリングしてます。」

などなど、神が友達かのごとく、僕に伝えてくる???な人がいたりします。

 

神は、自らが姿を顕現されることは滅多にありません。一定の修行を終え、人格・霊格ともに磨きあげ、高級神霊との繋がりが持ててこそ、初めて神との縁が結ばれるのです。

 

綺麗事・上っ面の社交辞令で、自らの肉体すらも磨かれていないような従事者には神を名乗る動物霊との縁くらいでしょう。

 

話が大分それてしまいましたが^^:

 

余りにも偏重すぎる「個」の時代だからこそ、地域・ムラ社会の意味合いを見つめ返すことが大切ではないでしょうか。

結婚(1)

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こんにちは

琉球神人 リュウサイです^^

 

7月も半ばに入り、いよいよ暑さも本格的になってまいりました。

みなさんは、暑さ対策されてますか?こまめに水分を摂取するようにしましょうね^^お子様がおられるご家庭では、そろそろ夏休みに入り、水場に行かれたりもするでしょう!!

 

今回からは、沖縄に伝え残る「結婚」について連載をしたいと思います。

 

まず、沖縄では結婚をニービチと言います。そして、ニービチの前に行う面白い習慣が、明治や大正頃まで残っていました。

 

それは、「お別れパーティー」です^^:

 

結婚前夜に男性は男性の友人と、女性は女性の友人と浜に集まり、夜更けまで語り尽くしていたそうです。